疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

ものづくりのはなし

綺麗なお姉さんが「疾と粋事、読んだよ!」と言ってきたので「どうなんですか?これは?私っぽいのか?読む価値があるのか???」と率直に聞いたところ、「かなちゃんっぽいけどツイッターと同じかな?」という、答えになっているんだかいないんだかな回答をもらった。はい。

 

もともと、Twitterで書くには長い話とか、写真のこととか話したくなったときに使おうという目的で作ったから、Twitterの延長として扱ってもらえればいいんだけど、Twitterと”同じ”というのはどういうことだろう。そういえば最近「まつおさんの文章はまつおさんが喋ってるみたい、まつおさんの声で再生される」という旨のことを言われたのだけど、それってそちら側の受け取り方というか、思い入れ次第じゃないの?と疑っている節があります。いかがでしょうか。

 

Twitterよりもある程度まとまった量の文章が書けて、Tumblrみたいに流れてしまわないもの」を探したんですけど、私はタイトルがずらっと並んで、そのなかから見たいものを選ぶ形式のものが好きみたいです。FBを一時期そう使っていたんだけど、あのランダムに記事を薦められるホーム画面とか、読みたい記事が探せないこととか、受け付けなかった。TwitterにFBのURL貼るのも不細工だし、私の文字が読みたい人はここにくるといいです。いるのかしら。あとはてなブログは好きな人たちが軒並み使ってたからさぁ、noteと迷ったんだけどさぁ、ものは試しよで始めました。

飽きたらやめます

  

 

友達を褒めます。

わたしのまわりには才のあるやつらが何人か、何人かっていうには多いんじゃないのってくらい結構たくさんいるんですけど、やつらの多くはものをつくる能力に長けていて、わたしはそれがめちゃくちゃ羨ましい。

とくに文章を書く才のあるやつ。1次創作は素晴らしいと思っているんですけど、そのなかでも文章はサイコー。物語でもエッセイでも、短編でも長編でも、文章は尊い。

なぜ文章は最高なのか、というのは長くなるので別のところで気が向いたら書きます。

 

私は凝り性で、ものづくりは好きだったんだけどそれを誰かに見せることなくあまり上達もせずおしまいにしてしまった人間なので、だれかと作ったものを共有できるひとたちがほんとうに羨ましい。ピアノは10年以上続けていたけれど、わたしはわたしのピアノの音を一生聴くことができないのがつらくて、嫌だったなぁ、と最近になって思い出した、そう、自分が作ったものを人と一緒に「いいよね」っていう、ただそれだけのことがしたかったのです。

 

だから、カメラを手にして、やっとなんだか満足のいく写真が撮れるようになって、はじめて誰かと一緒に、自分が作ったものを見ることができて、「いいよね」って、言えて、言ってもらえて、ほんとうに嬉しかった。はじめての、ものづくり。

 

でも同時に、一生、私は2次創作しかできないのかなと、身震いをしてしまったことも事実です。わたしは、わたしの2次創作しかできないのかな。わたしの文字は、わたしの声の2次創作で、わたしの写真は、わたしの目の2次創作で、

 

それでも、わたしは絶対に、わたしが撮った写真をまとめて、本にして、わたしの、あなたの手元に届けましょう。わたしの最高の、ものづくり。