疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

ぼんやりしている

 

パンが焼き上がってから、今朝はグラノーラが食べたかったな、と思った。

 

 

8月生まれの友人と、8月生まれの私とで、誕生日にお誕生日ボックスを贈りあっている。数年目になる今年も、友人から可愛いと美味しいとお手紙が届いた。1ヶ月以上経ったけど、私からはまだ、送れていない。

 

自分のしたいことや自分が喜ぶことへのアンテナが鈍っているのを感じる。何が嬉しくて、何が快いかわからない。なんでもいい気がする。なんでもいい気がするし、なにも正解じゃない気がして、自分が嬉しいことがわからないから、ひとが喜びそうなこともわからない。

 

用事があったついでに、数ヶ月ぶりに好きな店を見て回った。いつもなら嬉々として手に取る皿も、器も、文房具も、ありとあらゆる雑貨が全部遠くて、服も靴も鞄も全部、いらないような気がして、ちょっといいパンをひとつ買って帰った。

 

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家の中のちいさいことをメンテナンスして過ごしている。ちょうどいい長さの突っ張り棒や、大量のクリアファイル、配線をスッキリさせる電源タップ、だいたいのものはネットで揃う。欲しい内容に近いものをネットで探して、これと決めたらさらに一番安く買えそうなショップを比較して、一番ポイントがたくさんつく日に買う。私のやりたいメンテナンスへの最短距離だ。最短距離で私の思いつきに辿り着けるけど、私が思いつくことにしか辿り着けない。この家には、この空間には、私が知っているものしか存在しない。

 

以前は、欲しいものを買いに出掛けて、違うものを買ってくることが多かった。服を買いに行って皿を買って帰ってくることなんてしょっちゅうだった。インターネットの買い物は、店内のBGMが大きすぎて調子を悪くすることがない代わりに、歩き疲れて入った喫茶店のケーキが美味しくて嬉しい、なんてことも起こらない。

 

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ぼんやりしている。ずっとぼんやりしている。そばに人がいないから、自分の輪郭が分からなくなっているのかもしれない。

どこまでが親切で/どこからがおせっかいなのか、どこまでは嬉しく思われて/どこからは疎ましく思われるのか、あなたから言われたことは本心なのか/嫌味なのか、はかりかねている。

 

自分のことすら分かりかねるが、まぁ、グラノーラが食べたいと気づいたら、気づいたときに、パンを食べた後でだって食べたらいいんじゃないかな。やりたいと思えた時にやったらいいし、やりたいと思えるまで待ったらいいんじゃないかな。と思って、今はただ、何かを待つでもなく、日々をやり過ごすように、ぼんやりしている。