疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

選挙行ったよって言える大人になる日が来るとは正直思ってなかったけれど

都議会議員選挙、終わりましたね。

わたしは期日前で投票して、あっ…出たついでにカルディ寄っちゃお~&美味しそうなお茶買っちゃお~&お夕飯もう適当にしちゃえ~~とやりたい放題しました。

 

選挙に当たり前に行くようになるとは思っていなかった。

 

あんまり大きな顔して言うことではないけれど、政治も経済もよく分からん上で特に学ぼうともしないまま堂々と生きてきたし、投票権を得てから数年は選挙に行った記憶がない。というか今回の都議選すら、立候補者を調べながらまず(これは…自分の自治体の立候補者に投票をする…てことでそもそもいいんだよな…?)と思いながら見ていた。(※そうです)(※無投票当選の自治体を見つけてやっぱそうだよねと確信を得てから行ったから一応安心してほしい)

 

選挙行こ~、と思うようになったのはここ数年で、行くようになってからも正直、行ったぞ~、で終わりになっていました。私のなかの選挙、投票したらいったん終了。コールドスリープ。さようなら!

でも今回の選挙がわたしにとっていつもと少し違ったのは、Twitterで「自分が応援していた人が2人いて、片方(票を投じなかった方の人)が数票差で落選してしまって責任を感じている」という旨の投稿を見かけたのがきっかけで、(そういえば自分が入れた人って当選したんだろうか?)とふと調べてみたからです。

 

正直な、舐めていたんだよ。

そういうことも調べないくらい舐めていた。

自分のなかでわかる範囲で比較して、NHKの候補者アンケートを見たりとか、最後に絞った人たちの個人SNS見たり、個人ホームページ見に行ったり、(街頭演説の動画とか上がっていてすごく助かりますね、現代、その調子でオンライン投票できるようになってくれ…)して、いや~もう自分の中ではこの人に入れるわね~入れるわよ~と思って入れた人が、すれっすれで当選していた時の気持ち。

ほんとにほんとの、すれっすれで当選していた時の気持ち。

先に余裕で当選している人たちの得票数と比べたら、…もう……。

 

当たり前に、当選していると思ってた。

余裕だろうなと思ってた。

わたしが票を入れても入れなくても関係なくこの人は通るだろう、と思ってた。

 

1票、重!!!!!!ていうのを、いや聞いてはいたけど、を、初めて感じました。

あっ、べつに、べつに次も行くつもりだったけど、あの、ほんとに行かなきゃなやつなんだな?!と思いました。

 

わたしは自分のことを、いまもそんなにちゃんとしているとも思えないし、不勉強だなと思うことのほうがずっと多いし、選挙行こうねとか、行った方がいいよみたいなことを見聞きしても「だるいな~」「なんもわからんな〜」で流れていく日々の気持ちのこともすごくよく知っているし、だから無理に行こうねとはあんまり思ってない、ただいつかもし「お、今日は今回はちょっと行ってもいいかな」と思う時が来たら、できれば投票前に調べてみて、(自分の中ではここ!)とか(ここはない!)とか、心づもりをしたうえで票を入れてみてほしい、それが開票時に結果どうなっているのか見てほしい、あ、この感覚が、この人に入れる、この人に入れないっていうのがこんなに当たり前じゃないんだ、というのを数字で見てほしい、です。

 

選挙だるいよね。だるいけど行って偉いから、外食しようね。それが無理なら好きなものテイクアウトしようね。私はスーパーで寿司を買ったよ。

 

偉そうなことはな~んにも言えないけれど、今日の夕方に「票入れてくれてありがと」のご挨拶に回っている人を見かけて、許さないからな、と思っています。