疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

何が悪いって、相性が悪い

 

年明けからずっと、ただ一つの無神経と戦っていて大変疲れている。

 

私がどれだけ困っていても、「でもそれは松岡さんには関係のないことだから、大丈夫じゃないかな?」「いまちょっとびっくりしちゃってるだけで、すぐ慣れると思うよ」「繊細なんだね〜、わかるよ、私もそういうところあるから!」と一蹴されてしまって、あまりのことに、あまりのことに……となっている。

分からなくていいし、無理解でいいから、私のつらさを勝手に「大丈夫」にしないでほしいし、「私もそういうところある」と寄ってこないで欲しい。

 

と、先週まで思っていたのですが、先週はじめて「…うん、なんかちょっとわかる気がします。」「そういうのって、嫌な人は本当に嫌ですよね。」と言ってくれる人に会って、ここ数ヶ月の私が救われたような気がしました。

私たち、分かり合えなくていいから、共感は求めていないから、嫌だと思う人は本当に嫌、ということだけ覚えていていただけたら幸いです。

 

なんもわからん

 

なんもわからんな、と思いながら全部やり過ごしている

 

言われたこと以外はやらなくていいし、頼まれたこと以外は考えなくていいんだと思う、本当は。でもそれじゃあ、何のために?

 

わたしが気がついたことは、必要な人に届いて欲しくて。わたしが思いつく可能性の話は、できれば共有しておきたくて。わたしだけが幸せならいいわけでもないし、わたしの周りだけ困らないならそれでいいとも思えない。けど、全部を見る目も、知る時間も、助ける力もない。

 

言われたことから推察できることは気をつけておきたいし、意図は汲みたいし、そこから派生しそうな影響は考えておきたいし、選択できるなら選択肢には目を通して必要なものをリストアップしたい。

 

言われたことをその通りにやって、問題が起きたら場当たりで対応して、繰り返し問題が起きるようならそこで初めて根本原因を考えて対応して、そういう風な力が求められるんだろうな、そういうことが求められてるんだろうなわたしにも、と思うけど、できない。

 

汲んで考えて先回りして、その苦労も時間も汲まれないなら、じゃあ何のために?と思うけど、これをしないことができないからずっとやっている。めちゃくちゃ不器用なんだと思う。

 

 

ぼんやりしている

 

パンが焼き上がってから、今朝はグラノーラが食べたかったな、と思った。

 

 

8月生まれの友人と、8月生まれの私とで、誕生日にお誕生日ボックスを贈りあっている。数年目になる今年も、友人から可愛いと美味しいとお手紙が届いた。1ヶ月以上経ったけど、私からはまだ、送れていない。

 

自分のしたいことや自分が喜ぶことへのアンテナが鈍っているのを感じる。何が嬉しくて、何が快いかわからない。なんでもいい気がする。なんでもいい気がするし、なにも正解じゃない気がして、自分が嬉しいことがわからないから、ひとが喜びそうなこともわからない。

 

用事があったついでに、数ヶ月ぶりに好きな店を見て回った。いつもなら嬉々として手に取る皿も、器も、文房具も、ありとあらゆる雑貨が全部遠くて、服も靴も鞄も全部、いらないような気がして、ちょっといいパンをひとつ買って帰った。

 

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家の中のちいさいことをメンテナンスして過ごしている。ちょうどいい長さの突っ張り棒や、大量のクリアファイル、配線をスッキリさせる電源タップ、だいたいのものはネットで揃う。欲しい内容に近いものをネットで探して、これと決めたらさらに一番安く買えそうなショップを比較して、一番ポイントがたくさんつく日に買う。私のやりたいメンテナンスへの最短距離だ。最短距離で私の思いつきに辿り着けるけど、私が思いつくことにしか辿り着けない。この家には、この空間には、私が知っているものしか存在しない。

 

以前は、欲しいものを買いに出掛けて、違うものを買ってくることが多かった。服を買いに行って皿を買って帰ってくることなんてしょっちゅうだった。インターネットの買い物は、店内のBGMが大きすぎて調子を悪くすることがない代わりに、歩き疲れて入った喫茶店のケーキが美味しくて嬉しい、なんてことも起こらない。

 

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ぼんやりしている。ずっとぼんやりしている。そばに人がいないから、自分の輪郭が分からなくなっているのかもしれない。

どこまでが親切で/どこからがおせっかいなのか、どこまでは嬉しく思われて/どこからは疎ましく思われるのか、あなたから言われたことは本心なのか/嫌味なのか、はかりかねている。

 

自分のことすら分かりかねるが、まぁ、グラノーラが食べたいと気づいたら、気づいたときに、パンを食べた後でだって食べたらいいんじゃないかな。やりたいと思えた時にやったらいいし、やりたいと思えるまで待ったらいいんじゃないかな。と思って、今はただ、何かを待つでもなく、日々をやり過ごすように、ぼんやりしている。

私の死因はあなたじゃない方がいい

 

コロナウイルス感染症が爆増しているなかで、家族内や職場など身近な場所での感染の話を聞くたびに、それで亡くなった方のご家族やパートナーからの話を見聞きするたびに、思う、というか思い出すことがあります。綺麗にまとまった読みやすい文章には全然ならなかったけれど、ぼんやり浮かぶことたちを自分のためにも書き留めておきたくて、書きました。

 

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身近な感染と病気と死のことを、見聞きするたびに思い出す、それは祖母が亡くなった時に「あなたのせいだ」と言わんばかりに責められた母の姿だったり/友人が亡くなった報せを受けた時に(私のせいかもしれない)と思った、これは数年経った今でも思う、自分の姿だったり/最近熱を出した私(※胃腸炎)に「きみはコロナだって、自分が無症状で感染したものをうつしたんだって、ごめんって思ってた(思い込んでた)」と言った友人のことだったり、

 

 

/母が持病の手術のため1週間ほど入院することになり、その間、祖母は施設に入所することになった。退所後のずいぶん足のおぼつかない祖母を見て、その時に初めて私たちは、施設では転んで怪我をするのを防ぐために、一日のほとんどを車椅子で過ごしていたことを知った。

そこから祖母が亡くなるまではそんなに長くなかった。葬儀のあと、親族の一人が母に「あの時あなたが手術なんかしなかったら、入院しなかったら、」と言った。「急に歩けなくなってしまって、かわいそうに、家でみてあげていたらよかったのに、」

祖母は亡くなる日の前日も、好物の蒸かしたさつまいもやヨーグルトをよく食べていたと母から聞いていて、葬儀の前にも母と私は、「足が弱ってからもずっと、話すこともしゃんとしていたし、ずっと食いしん坊だったし、最期まで元気だったね、」なんて話をしていた。それでも、違う未来のことを、違った選択のことを、考えなかったわけじゃない。多分、母も。

 

 

 /友人が亡くなったと知った後、考えたこと。

あのとき、わたしが電話を取り損ねたから?あのとき、「またね」って言ってるのに「じゃあね」をかぶせてくる友人を引き留めなかったから?最後に会ったとき、私がした忘れ物をわざわざ届けに来てくれたけど、そのまま預かってもらっていたら、君は私の帰りを待っていてくれた?それとももっと前、無理やりにでもどこか、私じゃないもっと頼れる大人に繋いでおくべきだった?せめて陽のあたる、東南角部屋の私の家に、引きずってでも連れて帰るべきだった?

もっとできること、あったんじゃないだろうか、なにか、どこで間違えたんだろうか、

 

 

/高熱を出した私に「風邪だとしたら様子が変だし、コロナなんだろうね…」とかなり後ろ向きなことを言う友人に、回復したあとで話を聞いたら、「(その前の週に仕事で会ったため、)きみはコロナだって、自分が無症状で感染したものをうつしたんだって思い込んで、ずっとごめんって思ってた」と言われた。私はというと、病院にかかり検査を終えるまでの間ずっと(同僚も友人も、誰も調子悪くしてないだろうか…うつしてないだろうか…ていうかこれは何の症状なんだろうか…ごめん…)と思いながら怯えていた。

 

 

 あの時ああしたらよかったのに、というのは現実には全然意味がない、あの時ああしなければ、というのも同じ、起こったことは返ってこない、わたしたち、それは良く分かっているはずなのにね、

 

 忘れる、というのはすごい能力だと思う、怖いのもつらいのも悲しいのも、忘れていかないと生きていけない、ずっとそのままの温度で、生々しい手触りで覚えていたら生きていけない、

それにしたって私は、まだつい最近、高熱が出て病院にも行けないまま苦しんだ中でありとあらゆる(おなかが痛いときと熱が高いときにだけ現れる)神に謝ったのに、あの時確かに「怖い」と思ったはずなのに、たった数週間で「大都会にある弊社にこれだけ顔を出しているのに…?」「なぜ友人にすら会えないのか…」という気持ちになるのはちょっと、いくら何でも忘れっぽすぎやしないか、

 

それでもまだ、コロナの疑似体験のような1週間(1週間で済んでいるので全然、本当にコロナにかかった人からしたら何でもないと思うのですが確かに怖かった、)を過ごして、より一層人に会わない生活をしているし、心が折れそうになったときは

「せめて愛するひとびとに会うのは控えようかな」

という友人のことばを読み返して、噛みしめて、とりあえずワクチン2回接種が終わるまで…終わった後のことは終わってから考える…自分のための区切りがないと心がだめになる…と思いながら過ごしています。

 

 

多分、いずれ死ぬ。多分いずれ死ぬけど、そのきっかけはあなたじゃない方がいい。私はいずれ死ぬけど、私が死ぬ時には友人や親しい人たちに「自分のせいかもしれない」という気持ちになってほしくない。私はあなたの死因になりたくないし、あなたは私の死因にならない方がいい。

 

私のせい”かもしれない”、じゃないくらい断定されるかもしれない、きっともっとつらいと思う。

 

「あの時ワクチンを打たなければ、」「あの集まりに顔を出していれば、」と思う未来の可能性も存在するわけで、結局どちらに、何に納得がいくか、という話になってしまうのかな。

そうだとして、この場限りでもいいから、今と未来で考えが変わってもいいから、今考えたなかで納得のいくものを選びたいと思う。せめて愛するひとびとに会うのは控えながら。

 

選挙行ったよって言える大人になる日が来るとは正直思ってなかったけれど

都議会議員選挙、終わりましたね。

わたしは期日前で投票して、あっ…出たついでにカルディ寄っちゃお~&美味しそうなお茶買っちゃお~&お夕飯もう適当にしちゃえ~~とやりたい放題しました。

 

選挙に当たり前に行くようになるとは思っていなかった。

 

あんまり大きな顔して言うことではないけれど、政治も経済もよく分からん上で特に学ぼうともしないまま堂々と生きてきたし、投票権を得てから数年は選挙に行った記憶がない。というか今回の都議選すら、立候補者を調べながらまず(これは…自分の自治体の立候補者に投票をする…てことでそもそもいいんだよな…?)と思いながら見ていた。(※そうです)(※無投票当選の自治体を見つけてやっぱそうだよねと確信を得てから行ったから一応安心してほしい)

 

選挙行こ~、と思うようになったのはここ数年で、行くようになってからも正直、行ったぞ~、で終わりになっていました。私のなかの選挙、投票したらいったん終了。コールドスリープ。さようなら!

でも今回の選挙がわたしにとっていつもと少し違ったのは、Twitterで「自分が応援していた人が2人いて、片方(票を投じなかった方の人)が数票差で落選してしまって責任を感じている」という旨の投稿を見かけたのがきっかけで、(そういえば自分が入れた人って当選したんだろうか?)とふと調べてみたからです。

 

正直な、舐めていたんだよ。

そういうことも調べないくらい舐めていた。

自分のなかでわかる範囲で比較して、NHKの候補者アンケートを見たりとか、最後に絞った人たちの個人SNS見たり、個人ホームページ見に行ったり、(街頭演説の動画とか上がっていてすごく助かりますね、現代、その調子でオンライン投票できるようになってくれ…)して、いや~もう自分の中ではこの人に入れるわね~入れるわよ~と思って入れた人が、すれっすれで当選していた時の気持ち。

ほんとにほんとの、すれっすれで当選していた時の気持ち。

先に余裕で当選している人たちの得票数と比べたら、…もう……。

 

当たり前に、当選していると思ってた。

余裕だろうなと思ってた。

わたしが票を入れても入れなくても関係なくこの人は通るだろう、と思ってた。

 

1票、重!!!!!!ていうのを、いや聞いてはいたけど、を、初めて感じました。

あっ、べつに、べつに次も行くつもりだったけど、あの、ほんとに行かなきゃなやつなんだな?!と思いました。

 

わたしは自分のことを、いまもそんなにちゃんとしているとも思えないし、不勉強だなと思うことのほうがずっと多いし、選挙行こうねとか、行った方がいいよみたいなことを見聞きしても「だるいな~」「なんもわからんな〜」で流れていく日々の気持ちのこともすごくよく知っているし、だから無理に行こうねとはあんまり思ってない、ただいつかもし「お、今日は今回はちょっと行ってもいいかな」と思う時が来たら、できれば投票前に調べてみて、(自分の中ではここ!)とか(ここはない!)とか、心づもりをしたうえで票を入れてみてほしい、それが開票時に結果どうなっているのか見てほしい、あ、この感覚が、この人に入れる、この人に入れないっていうのがこんなに当たり前じゃないんだ、というのを数字で見てほしい、です。

 

選挙だるいよね。だるいけど行って偉いから、外食しようね。それが無理なら好きなものテイクアウトしようね。私はスーパーで寿司を買ったよ。

 

偉そうなことはな~んにも言えないけれど、今日の夕方に「票入れてくれてありがと」のご挨拶に回っている人を見かけて、許さないからな、と思っています。

 

 

 

お誕生日

 

おめでとう、ってもう、どこにも言えないからここに書く、お誕生日おめでとう、の行き場がなくてずっと泣いている

 

 

こんなの子供じみた感情で、何にもならないってわかっているけれど、今年の夏も死んだ人は歳をとってくれなくて、今年の夏、私は君が最後に生きた歳を超えていくの、本当に嫌だと思っていて、ずっと泣いている

 

 

 

私の可愛くてやさしい友達

 

 

何かでバランスとらないと死ぬ気がするから良かった話の更新もしておく。

 

 

 

私には可愛くてやさしい友達がいるんですけど、先日私がほぼ終電で、日付を越えて帰宅した翌日月曜の朝に連絡が来て、「昨日遅かったから、寝坊してたらかわいそうだなと思って……。」とのことでした。

 

やさしいやさしいか?(そう!)

 

 

 

おしまい。