疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

夏が来る

 

死んだ友達の話をします。

 

最近ずっと、死んだ友達のこと考えてる。これは何かがあったからではなくて、毎年そう、夏だから。夏の間だけ、ほぼ毎日死んだ友達のこと考える。冬の気配がしてくると頻度は格段に下がって、考えないわけじゃないけど、毎日では全然なくなる。なんでかな。

 

それは最後に会ったのも、初めて会ったのも、君の誕生日も私の誕生日も夏だからなのかもしれなくて、次の誕生日が来るとついに、私は彼の年齢を追い抜くからかもしれなくて、最近はずっとその事を考えている。

 

歳が上の人が楽しそうに暮らしてくれると安心する。はやくそっちに行きたいなとも思うけど、いまはいまで楽しいから急ぐつもりはなくて、でもその先もこんなに楽しいよって見せてもらえてるみたいでありがたい。君が安全に通り抜けられなかった年齢を、私はこの先どうやって生きていくんだろう。

 

東京に引っ越しきて、というか戻ってきて、さすがに色々思い出してへこたれたりした。こんなに忘れてないんだ、と思った。一緒に行った店、一緒に歩いた場所、観た映画、食べたもの。最後に会った場所へは、意図的にまだ行けていない。もう行かないかもしれないなと思うし、それでいいと思う。

 

最近人と話していてもふわっと死んだ友達の話をしちゃうことがあって、相手に押し黙られてから(あっしまった、)と思うのですが、べつにこれはなんていうのかな、悲しい話ではなくて、「そういう友達がいる/いた」という話なんだよな。だから生死に関わらず「友達の話」なんだけど、何て言うのかな、そんなに深刻に聞かないで……ごめん…って思っています。

 

でも押し黙らせてしまう一番の原因は、私が全然、全然大丈夫じゃないからだって知ってるよ、この話するときやたら饒舌で早口になるもんな。

 

そろそろ一緒にいた年数と君が死んでからの年数が並ぶんじゃないかって、薄々気がついてるけど気がついてないふりしてる。