疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

白い

久しぶりに本を読んだ、印刷された文字は液晶画面に浮かび上がる文字よりも紙と文字との輪郭が曖昧で、それがなんだか優しく感じられて、目を通す、ということばは印刷された文字列のためにあると思う

 

印刷されたことばの方が距離を感じる、時間的な距離、これが書かれたのは今よりもっとずっと前、書いたものを構成してページに納めて印刷して製本して出版して、手元に届くまでに途方もない工程があるんだっていうことを知っているからなのか、でもその遠い遠い距離に安心する、この文章を書いた人だってもうこんなこと、とっくに考えていないかもしれない、考えているかもしれないけど、それが分からない、なんてことに安心する

 

SNSが普及して、人との距離が近くなった、ということはもうものすごい数の人や文章が教えてくれるけれど、その"タイムリーさ"に気が遠くなりそうになる

これは何分前に投稿された文章です/これは今日撮った写真です/これは今やってるドラマの感想です/今日の夕飯です

 

今思ったことを今共有できて今反応してもらえる、それはすごいことだ、でもその生々しさ、というか、生活に、より密な温度に、ことばに、くらくらする。えげつない。えげつない量の情報や”私事”が蔓延していて、それらにいつだって手を伸ばすことが可能だってことに慄いてしまう。

 

ここにある文章たちのリンクを固定して設置しない、そのめんどくささや空白に、わたしはちょっとだけ安心を感じている