疾と粋事

電子媒体に引き裂かれ落命

しにたいことのはなし

「しにたいなぁ」って、何となく思ったことはありますか。

私はあります。

 

しにたいって、なるべく言わないようにしないといけないとか、言うことで周りの人を傷つけるとか、思って我慢する人、いるのかなと思うんですけど

わたしは言いたかったら言ってもいいと思っています。

 

気をつけないといけないのは、強すぎる言葉だから、相手は受け止めてくれないかもしれないこと、ひとりの時に言うとその強さが自分に撥ね返ってくることのふたつです。

「しにたいなんて言うものではない」「私はそれを聞くと悲しくなる」と怒る人のことは、「あー、今のこの人にはこれを受け止める余裕がないんだなぁ」くらいにとどめておくのがいいです。「この人を悲しませてはいけない」とか「この人を傷つけるなんて自分はなんてひどいやつなんだ」とか思うことではありません。だってしにたいって思ったのはほんとうのことだし。

「しにたいって言ったらまわりのひとを悲しめるからだめなんだ」って我慢する方が不健康じゃない?

 

心が落ち着いてきたら、「しにたい」はどういうしにたいなのか、つまり、消えていなくなりたいのか、にげたいのか、休みたいのか、とにかくつらいのか、そういうことを分解していけたらいいね、と思いますけど、しにたいうちは「しにたい」でいいんじゃないかなぁ。

 

   

あなたのまわりにいる人間は、あなたの心配はできるけど、不調に気づいたり代わりに休んだりできないから
調子が悪いって気づけたなら十分えらいよ それは自分にしかできないことです、だからちゃんと休んでくれ

 

ひとにはみんな、しあわせになる権利があるから。

誰かのために何かしたいとか、これをやらなくちゃいけないとか、〆切とか約束とか、手伝うとか助けるとか、

そういうのは全部、自分が個人としてしあわせになってからやったらいいよ、と思います。